ミイラズベストアルバム発売中です。お買い上げありがとうございました。

あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします。

はうぁ!占いで何事も挨拶から始めたほうがいいこと起こるっぽい感じで書いてあったから挨拶を排泄より大切にするあまりに
新年の挨拶になってしまった!!!!なんてことだ!これでは逆に全然挨拶を大切にしてない感じになってる畠山です。

さて、まさひことケイゾーのベスト解説は楽しんでもらえたでしょうか。
二人は僕が覚えてないことを覚えているので、いろいろフォローしてもらえたので、より詳しくミイラズの10年が伝わったのではないでしょうか。いやーそれにしても二人はよく覚えてるなぁ。俺はほとんどの出来事を忘れてしまう。
え?そんなことあったっけ?とよく三人で話しています。

それにしても、「歌詞を間違えるのがプレゼントと同じサプライズ」っていう考え方はポジティブすぎてびっくりしましたね。
ギャルか!ってくらいにね。みんなしあわせになーれ、みたいな感じでしょうか。ドジティブシンキングですかね。

二人の読んでたら色々思い出したりしたので適当になんか追加しときますか。

ミイラズの10年って僕的には「とにかくやるしかねぇ!」って始めてひたすら全力で走ってきた結成から最初の2年、軌道に乗り始めた2年、勝負する時だぁ!って2年、思ったよりも伸び悩んでそれでもがんばった2年、低迷期2年、って感じです。
最後の低迷期2年ってかなり悲惨な書き方ですが、まぁ僕自身がそう感じてるので、そういう時もあるよねぇーくらいに思ってください。バンドって10年やってたら、大体低迷期がこの辺です。大丈夫です。むしろ普通です。すげー売れてるバンドでも大体この辺で微妙に低迷しています。それをうまく見せないようにしているのが売れてるバンドです。僕にはバレてますよ!ええ!

まぁなので、わりと普通のバンドらしい活動状況なのではないでしょうか。
ただ自分の目的としては、一番伸びる時期に、思ったよりも伸びない世代だったな、っていう残念な感じっていうかね。
まぁこれは最近、もう世代の集客数の限界値、みたいのを感じているので、あんまり気にしてないです。

それよりもこれから先、自分が目指すところにどうやって到達するか、をずっと考えています。
ジョジョで言ったら天国に到達することができるかどうかですね。(ジョジョのゲーム、アイズオブヘブンの話はまた今度します。)

なのでここでいきなりですが、この10年をなんとなく振り返ってみようと思います。

まず、「とにかくやるしかねぇ!」って始めてひたすら全力で走ってきた結成から最初の2年。2006年〜。

この2年は、とにかく俺についてきてくれ、異存は認めない。って感じで突っ走りました。
僕もこのバンドがうまくいかなかったら音楽人生おしまいだ、と思っていたし、マジで本気でした。死ぬ気で頑張ったと思います。
その結果、最初のメンバー全員がいなくなりました。さすがに僕もやりすぎたなと思います。鬼畜かと。今思えば、最悪な人間だったと思います。バンドの成功のためだけに全てを犠牲にしてきたと思います。友情よりもバンドを優先したとハッキリ言えます。
でもそれぐらいの気持ちで臨まないとプロになれないと思ってました。だからわかってくれとは言わないです。
手に入れるために色々犠牲にしました。自分でも失ったものは大きいなと思っています。それよりも手にしたいものがありました。
このころはとにかくライブをやりまくってましたね。今思うと、なんであんなにライブやれたんだろう?って思います。
毎月ブッキングライブやったり、小さいイベントに出演したり、ある意味一番楽しかった時期かもしれないなぁ。
でも細かいことはあんま覚えてないんだよなぁ。

次に、軌道に乗り始めた2年。2008年〜。
1stアルバムリリースして、なんかわからんけどちょっとずつ名前が出て行きましたね。新世代みたいなものが結構出てきたんですよね。
ミイラズに関しては、絶対に成功するって僕は思ってたし、成功させるって思ってたので、こんなん当たり前ーくらいに思ってました。
だから順調に進んでるっていうくらいにしか思ってないです。
この辺から忙しくなってきて、体調よく壊しましたね。この辺の記憶はほとんどないっすね。ケイゾーの方がよく覚えてます。

次に勝負するときだぁ!って2年。2010年〜。
すごく覚えてるのが「観覧車〜」のシングルリリースイベントの渋谷CCレモンホール(現在は渋谷公会堂に名前戻ったよね。)でのライブ。

このライブの前に渋谷AXを即完したんですね、ミイラズは。で、スタッフは次は椅子有りのライブでしょって感じになってたらしく、
AXで発表してすぐにCCレモンホールでのライブだった印象です。
当時の僕は、ライブに関して無関心でどこでライブやるか、とか完全にスタッフに任せてました。
単純にチケットが売り切れたら、次の大きさのステージに行くだけって感じに思ってたので、AX即完だったよー、次はCCレモンホールでやろうと思ってるよー、椅子ありでも今のミイラズなら埋まると思うよー、っていう感じで、わかりましたー、みたいな。
まぁ関係者も含め、みんな心配事とかなかったと思います、何やってもうまくいくでしょ、みたいな空気っていうかね。

今でもこの空気はよくなかったなぁと思います。

ミイラズは当時からモッシュとか起きるようなライブになってましたね。
僕的にはそういうバンドにしたかったわけではなく、自然とそうなっていった、って感じでした。
以前も書きましたが、勝負はハッピーアイスクリームや、シスターのような曲だと思ってました。

だから椅子がある場所でライブを見せれてなんぼって思ってたので、ここは勝負どきだなって思ってたんですね。

でも、モッシュとかが起きてるバンドは椅子ありの場所でライブやったら、失敗するっていう、業界のタブーだったんですね。
もちろんそうじゃないバンドも沢山いるし、未だにミイラズってバンドが完全にそっちのバンドとは思ってませんし。
でも当時のお客さんのイメージは完全にそっちだったんでしょう。スタッフもだからこそCCレモンホールに挑みたかったわけで。

覚えてるのは、当時のマネージャーにけっこうギリギリで、チケットの売れ行きがあんまりよくないから、なんかステージで派手なコトやることにして、それを発表したいって言われて、俺は当時、椅子有りだから、むしろ素な感じでやりたいなぁと思ってたので、むしろ何もしないほうがかっこよくね?とか言ってました。

んで、当日集まったのは座席の3分の2のお客さんでした。
僕は当日まで知らされてなかったんですね、ライブ出る直前、ステージ袖まで当時のマネージャーに、お客さん入ってるよ、と言われてましたから。

調子に乗ってステージに登場した僕は愕然としましたね。「客がいねぇ。」と。まぁそれまでパンパンの景色しか見てないし、椅子があると、ハッキリいない席がわかりますよね。マジで焦りましたね。
もちろん愕然としてる姿を見せるのはプロとして失格なので、動揺を見せないように頑張りましたが、どうだったんでしょう?
僕自身、かなり焦っていたライブだったと思います。なぜならその日、ミイラズのライブで初めてレザーを脱がなかったから。

バーバリープローサムの袖なしのレザーを着てたんですけどね、汗でレザーの背中が色落ちしてまして。お気に入りのTシャツに色移りして、客もいないわ、Tシャツの色、洗っても落ちないわでダブルショックだったのを覚えています。

で、その日の楽屋挨拶で、ロッキンオンジャパンの山崎さんがやってきて、楽しそうに、「なんか客いなかったね!面白い感じで書いとくわ!」と言って「おっす!」みたいな感じでやりとりしたんですね。

そしたら山崎さん、ツイッターで「お客さん3分の1しかいなかったー!」みたいに書いちゃったんですね。
で、その後に「あ、間違えた!3分の1いなかった!3分の2はいました!」ってフォローしたんですけど、
最初の「お客さん3分の1しかいなかったー!」の方がツイッターで回ってしまって。
「ミイラズオワタ」みたいのめっちゃ書かれてしまったんですねー。
いやー、情報操作って怖いわ〜。完全に事故ですけどね。SNSの恐怖。
当時は全然気にしてませんでしたが、今思うとこの辺からちょっと勢いなくなってしまったかなって思いますね。

んで、次に赤坂ブリッツ2days。これはラストナンバーのイベントだったかなぁ。この時は初日は売り切れたけど、二日目は苦戦した気がする。悲惨な感じにはなってなかったけど、当日で売り切れ?とかギリギリ売り切れてないとかだったような。
でも二日やった記憶全然ないな。ほんとに二日もやったっけ??
覚えてるのはマネージャーにチケットの売れ行き悪いからなんか考えて欲しいとか言われてセトリ公開、とかくらいしかしてないような。
てか普通にライブやりすぎなんじゃね?同じ年にデカイ規模何回やってんだよ。その前の年に全国ツアーも1回秋とかにやって、次の年の3月に全国ツアーやって、ほぼ2連続みたいな印象だった。やりすぎだったんじゃないかなー。って今は思います。
まぁこの辺からライブの時代って感じになってたんですかねぇ。

で、次はzeppかな。言いたいコトはなくなったのツアー。うーん、やっぱでかいとこやりすぎなような気がするねぇ。
まぁギリギリ売り切れました。あの景色は覚えてます。客の「うおお」みたいな声が今でもハッキリ思い出せます。

まぁ順調のように見えるけど、けっこうこの辺は苦戦してたと思います。
ちなみにこのzeppの段階で所属してた事務所は解散してたので、ほぼ自分たちでツアーをやるような状況で、かなり危険な体勢だったと思います。最初は、「バンド解散するしかない」とか「ツアー回る金がない」とか色々言われましてね。なんじゃそりゃって感じで。
それでもなんとかツアーは回りました。

で、こないだ書いた「言いたいことはなくなった」の印税が払われない問題が起きました。
印税のシステムに関してはまた今度書きますね。印税って支払われるのは1年後ですからね。支払われてないことに気付くのは1年後なんですよ。あれ?そういえば入ってなくね?みたいなね。はぁ。
ちなみにこの頃グッズの売り上げも1円も貰ってませんでした。ミイラズはあんなにグッズの売り上げあったのにねぇ。
どこいったんですかねほんと。

で、しかもこの年の夏ロッキンフェス出演してないんですよ。ファンの方は覚えてます?
いやぁそれがね、俺らは出演OK出してたんですけど、事務所がなくなるからなのか会社の人間が返答しなかったらしく。え?みたいな。
ビックリしましたね。ほんとに。事務所がなくなるってこういうことですよね。勘弁してよって感じで。

これが勝負するときだぁ!って2年かな。色々あったよなぁ。

で、その後EMIに移籍しました。思ったよりも伸び悩んでそれでもがんばった2年。2012年〜。
まぁメジャーデビューだからね、ここも勝負の時だ!って気持ちではありました。

ほんとは言いたいことはなくなったをリリースした後、1年くらい休止したかったんですけどね、けっこう自分的にもやりきった感は少しあったし、メンバーも休ませたかった。いやぁほんとにこのころ休みが全然なかったんですよ。次のステップのために休みたいなと。でも事務所がなくなってしまったので休めなかった。

メジャーデビュータイミングとかはわりとうまくいってたんじゃないかなぁ。ランキングもシングルで17位でしたからね。
当時のシングル事情考えるとかなり頑張ったんじゃないでしょうか。

で、このままの勢いでアルバムまでって感じでしたが、こないだ書いたシングル「傷名」で会長激押し宣言からの離脱、でもアルバム「選ばれて〜」はけっこういい感じだったのに、グラミー賞だったかなぁ?発表されて、洋楽が急にランキングしちゃって、ほんとは13位だったのに、20位になってしまって、当時の社長に、「ほんとは13位だったんだよ!」って何度も言われましたね。
俺って「持ってない」よねー。

でもこのアルバムツアーのゼップダイバーとかは集客ちゃんとしてたと思うし、全国ツアーもいい感じだったと思う。

この2年はほんと色々あったと思う。休みがほとんどなかったし。
覚えてることも少ないけど、毎日何かがあって、あっという間に2年が過ぎたけど、思い出すとものすごく長く感じる2年間だった。

次は低迷期の2年。2014年〜。
この年の夏のロッキンフェスは、規制かかってるんですよね。レイクステージ。だからまだ「オワタ」感はあんまなかったかな。
2年前は規制かかってたのに、今年のレイクは半分くらいだったもんねぇ。2年でこんな減るんだ?って思いましたね。
まぁシーンも変わったしねぇ。仕方ねぇ仕方ねぇ。悔やんでも仕方ねぇ。次いこ次!ドジティブシンキングだ!
客が減るのもプレゼントと同じでサプライズだ!もう一回増やせばいいだけ!

このあと会社がほぼ解散状態になって、担当がいなくなって、ほったらかし状態のまま次のアルバムオポチュニティを作ることになるんですが、そのアルバム制作に入る前に、話題作りのために「バンド名を変えるのってどう?」みたいなことを会社の人に言われましたね。

なんだかなーと思いましたね。
まぁ確かに時代を考えるとそういう話題作りってすごく大事なんですけどね、「ミイラズ」ってバンドがやることじゃないだろって思いましたね。まぁこの時はさすがに会議室でキレちゃいましたねー。一番偉い人に。
僕がいつも思うのは「ミイラズ」ってバンドをうまく利用していいところを引き出して売り上げを叩き出す、って人と出会えなかったなぁと思います。たぶん「ミイラズ」のおもしろさってそこじゃないと思うから。

で、オポチュニティをリリースしてツアーも待ち構えてた時に事務所が完全になくなって。
自分たちだけでツアーを回ることになりました。さすがに会社無責任すぎるだろって思いましたけどね。まぁ会社の合併ってそういうことなんでしょうけど。お前らが用意したツアーだろと。まぁこういう経験はなかなかできないので楽しかったですけどね。
この時もふざけてんのか?と会議室でキレましたね偉い人に。プッツンきちゃうんですよねぇ。あまりにふざけてると。
プッツンくると止まらないですよね。ジョジョで言うと、完全に承太郎さん状態です。もうねスタンド使えてたらね「オラオラ」ですよね。「もしかしてオラオラですかぁぁぁ???」ですよねほんとに。

んで、このツアーを自分たちで回ってお金のこととか色々知りましたね。いやぁ、もうほんとにね、大変でした。
僕はわりとお金にうるさい方だと自分で思ってたんですけど、こう何度も騙されてるってことは、無頓着なんですかね。おかしいなー。
まぁお金が好きってわけじゃないしなぁ。欲しいもののためにお金があるって思うし。でも、ここまで無頓着だとは自分でも思わなかったかな。正直、色々知ってしまって、あー知りたくなかったなぁーって思った。

んで、ファイナルがコーストだったんですけど、半分くらいしか客が入らず。まぁプロモーション何もしてないですしね。
もうこの辺で、かなり「オワタ」感出てましたね。超ウケますよね。実際超ウケましたね。
思い出すと結構笑えるので、まだ俺って大丈夫だなって思います。

「流行ってる」と人はドワっと集まって、「流行りが終わる」と人はドカっと減りますね。
世知辛いけどそれが現実だと思い知らされました。いい勉強になりましたわー。
まぁ流行りはいつか廃れるし、それを無理やり作ったり、遅らせたりするのが音楽業界の仕事のなのかもしれないけどね。

それでも今付いてきてくれるファンには本当に感謝しか言葉が見当たらないですね。
周りに流されず、流行りとか関係なく、ミイラズが好きだからついていくっていうね。
そんな人たちが今いてくれてるんだなって思います。
ジョジョで言うとね、「ありがとうジャイロ。それしか言う言葉が見当たらない。」ですね。

ライブにはなかなか来れなくなってしまってるお客さんが多いと思うけどね、こちらも長く続けていくからね、来れるようになったらまた遊びに来てください。僕らはいつもステージで君を待っている!ぜ。

で、低迷期って自分で言えちゃう理由としては、まぁいろいろあって、僕もかなり疲れてしまったし、何をすべきかもわからないけど、止まるわけにもいかず、作品は作り続けるしかないし、リリースしないとツアーもやれないし、みたいな中で、その時その時で必死に答えを出してきたけど、結果が出ず。締め切りとの戦いだったり、なんで音楽作ってるかよくわからない時期もあったんですよね。
前にも書きましたが、聞いてくれる人のためでもなく、ディレクターのオッケーのために曲を書くっていうね。そもそも音楽って誰かのためではなく、自分スタートだと思うんですよ。自分がやりたくて仕方ない、楽しくて仕方がない、だからやるっていう。
で、お客さんが増えてくると、楽しませるのが楽しくなってきて、こいつらが喜ぶことしてやりてーぜって思う。
これってすごく健全だと思うんですよね。でも、色々あって理由が見当たらなくなったりしましたね。

それでもしっかり作品を作れたのは、見えないけど応援してくれる人や、一人でも期待してくれる人、地方のライブハウスの入り口で会ったアホなカップルとかね、そういうファンのこと考えると最後までやりきろうと思うんですね。
そんで自分はやっぱり音楽作るしか能がないなって思うし。音楽嫌いになる瞬間もあったけど、諦めたくないんだよね。

僕の中で「低迷」っていうのは結果がついてこなかったことを指します。だから結果として作品も「低迷期の作品」なのかなと。
でも別に「低迷期の作品」が悪い作品って意味じゃないです。「結果がついてこなかった作品」ってだけです。
僕の中ではものすごくクオリティも上がってるし、やるべきことをやってきたと思うし、今聞いてもいい曲だなってちゃんと思えるし。
オポチュニティとかはなんで売れなかったんだろう?って思うしね。
でも僕はバンドにとって「低迷期の作品」があることって大事だと思うんですよね。だって笑えるでしょ?ウケるよね。
「畠山、完全に血迷ってるよねー」みたいな。そういうの好き。大好き。後々になって一番愛せる作品になるよ。みんなにとってもね。
まぁ、作品作ってる時はコレはみんな気にいるでしょ!最高でしょ!って思ってるしね。

「低迷」って自分で言えるのは、この先にあるものに、まだ希望があるからこういうことが言えるのかなって思います。
ま、事実は事実だからね、隠しても仕方ないし。

なんとなく思い出したのはこんなところですかね。

んー、なんかマイナスイメージのことばかり書いてある気がするけど、まぁあんま気にしなくていいよ。
凹む必要なし。凹む暇があったら応援してくれ。応援してくれればそれでよし!ベネ!
ここから盛り上げていく決意を書いてるだけですから。
被害者的な気持ちでこれを書いてるわけではなく、戦っていくぞっていう気持ちです。

今頑張ってるし。一応ずっと頑張ってきたしね。
一番辛かったのは、辛い気落ちを目の前のお客さんにも伝えられなかったことかなぁ。
ステージに立つ人間として弱音を見せれないとか、夢を見せたいとかね、色々思うし。
イメージのために、仕事として悪いところを見せないようにしなくちゃいけないとかね。俺にはそれがけっこう辛かったかな。
嘘をついて良く見せようとするっていう行為は辛いね。でもそれも含めてプロの仕事なんだなって勉強になりました。

俺自身も本当の自分(やりたいこととか、価値観とか、考え方とか、)を知って欲しいと思う反面、俺のプライベートなところは知って欲しくないって思うけどね。

でも10年やってきて思ったのは、もうここからはファンとともに歩むしかねーんだなっていう感覚っていうかね。
ファンとともにミイラズを作っていくっていうかね、ファンもミイラズのメンバーくらいの感じでね。
次の10年はそういう10年なんじゃねーかなって思ってます。そういう風に思えたことは素晴らしいなと。

ま、過去のことだし別にもう終わったことだから話してもいいかなって感じで、そんなこんなで10年頑張りました〜。お疲れさまでした。次の10年はもっとがんばりましょう。
この10年で味わった「成功」と「成功あと一歩感」と「奈落」と「屈辱」はね、なかなか体験できるもんじゃないので、音楽を作る上では大事な経験だったと思いますね。この先作る音楽に、より深みが増すこと間違いなしですね。
人生の勉強にもなったね。

「屈辱」に関しては僕のエネルギーの根本になってくれると思うので、まだまだ頑張れそうです。

で、まぁこう色々あった中で、僕はがんばっていい曲を作ってきたなぁと思えます。
もうね、投げ出してもおかしくない瞬間って結構あったんですよ。「解散」の2文字はね、何回かありました。正直。
それでもね、続けてきてよかったなと、ベスト盤を見てると思えるっていうかね。曲に罪なし!って感じでね。どんな状況でも自分っていう存在を音楽に変化させることができる自分って偉いなっていうかね。天才だなって思います。

ちなみに、マサヒコが書いた記事の中に、「グッバイ…エイジ・ダテ」って曲があったことを思い出しました。
すっかり忘れてましたよ。ほんと俺って天才すぎだなと思いましたね。

じゃあ、まとめまーす!
このベストアルバムを聞いてファンの方々も同じようにいろんな思い出が蘇ってくれると嬉しいです。
そして、新規のお客さんはこのベストアルバムから入門していただいて、ライブで盛り上がってくれると嬉しい。

ということでベストアルバムお買い上げありがとうございましたー。
次の10年もよろしくお願いします。

次回は反響があったので著作印税の話でもしましょうかね。お楽しみにー。